変わってしまった世界
久しぶりに電車に乗ったら少し違和感があった。周りを見回し、中吊り広告が片面しかないせいだと気づいた。
白い裏面が見えてしまっているのだ。よく見ると、網棚に並行した部分の広告も、いくつか抜けがある。
費用対効果が少ないとみなされたのか、そもそもコストカットしなければならないからなのか、こんなところにも不景気の波が、と背筋が寒くなった。
地下鉄に乗り換えると、まだ両面の広告。でも、会社内のコーヒーショップはビニールをかけられてしまったし、近所のラーメン屋はずっと閉まっている。
変わらないものなどないけれど、胸が苦しくなった。
なぜここはいつまでもアナログなのか
出社がたまになので回数券を使っている。すると、切符を投入できる改札がかなり減らされていることに気づく。
減っていたとてなくなったわけではないので構わないのだが、困るのが双方向の改札である。切符が通る改札は双方向になっていることが多く、下り方向に通勤していたときは、改札口の数が少なかったのもあり、入ってくる人が途切れなくてとにかく出られなかったものだ。私が切符を持っていることなど誰にもわからないので、出口専用に行けばいいのにと嫌な顔をされる。いや、通れるならそうしてるっつーの。
交通系マネーが普及する前、どこに行くにはいくらなのかと路線図を見上げていたことが懐かしい。切符売り場で声をかけられたりとかね。ICに記憶させるデジタル回数券はできないのかなとずっと待っている。
「ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル」
タイトルは友人がすすめてくれた本なのだが、買おうとしたらどこにも売っていない。Amazonのマーケットプレイスで売られていたものを買ったはいいが、2巻と3巻がない。というか、あっても高値がついた中古のみ。
世界的に有名なファンタジーでドラマ化もされているそうだが、日本ではあまり知られていないのはよくあること。外国文学の翻訳本が日本で流通する期間は本当に短くて、古本屋で買った文庫の続きがどこにもないとか、しょっちゅうだ。図書館にもない。
国会図書館などが電子書籍のデータベースを持つか、どこか国の委託などで一律の装丁製本でオンデマンド販売してくれないかと心から思う。もちろん必要経費は払う。法外な値段ではなく、その本の中身を買いたいのであるよ。
6月ですね
ぼやっとしていたら6月に入ってしまった。嘘でしょ、この間年明けたばっかじゃないかという現実逃避は置いておいて、東京は梅雨に入ったとしてもあまり降らないので6月という気がしない。紫陽花が結構な暑さの中鮮やかに咲いているのだけがこの時期らしいか。
雨の日の自転車通学の、合羽が肌に張り付いて蒸れて暑い不快感はともかく、屋内で雨を見ているのが好きだ。特に夏の雨。植物がエネルギーを貪欲に求めて目に見えるほどすくすく育っている様は、いかにも夏らしくていい(枕草子風)。雨の多いお土地柄に育ったので、その合間の青空のありがたみが今はないなと、東京の空を見て思う。
しかし田舎は空気がきれいだから日焼けがえげつないんだ…あれだけはちょっと苦手。
フラッシュバック
会社の人から渡されたメモが、何年か前に行われた美術展の便箋だった。私もたまたまその展示は見に行っていて、Facebookにも記録が残っている。
このコロナ禍、美術館は入場制限など対策をした上で、常設展の展示に力を入れてくれたらいいのにと思ったりする。私のようなへなちょこは企画展のついでに常設展もと思って出かけては行くのだが、人混みに疲れ作品にエネルギーを吸われ、大抵企画展を見終わると力尽きてしまっていてもう動けない。ぐるっとパスでゆっくり常設展めぐりツアーでも一人開催したいものなのだが。
メモをくれた人とは、その美術展が行われた頃にはまだ出会っていなかったのだった。もしかしたら会場ですれ違ったりしていたかもしれない。魔法にかけられたみたいに、当時のことを思い出す。